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フリージャーナリスト安田純平さん、政府に助けてもらう気は無かったと、講演会で発言

海外

フリージャーナリスト安田純平さん(44)は、神戸市中央区の市勤労会館において開催された帰国報告会における講演にいて、内戦下のシリアで>3年4カ月にわたって拘束されながらも、「政府に助けてもらうつもりなかった」と述べた。



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安田純平さんは、自ら拘束の経緯を「間抜けな話」と振り返った

この講演会は、県弁護士九条の会などが主催し、約500人が参加した。

安田さんのジャーナリストとしての長野県の信濃毎日新聞記者からはじまる。その後、フリージャーナリストになり、中東方面の取材をはじめた。その後、2015年6月、トルコからシリアへ入ったところで拘束された。

入念な準備をしてはいたが、予定外の案内役に真っ暗な山中に1人取り残され、現地の人間に拘束されたとのこと。実際に、その拘束した人間が何者なのかは、語られてはいない。

拘束された原因は、いろいろな要素があるようで、

04年にイラクでスパイ容疑で拘束されながらも、すぐに解放された際、メディアにおいて「人質」と報道されたことが関連していると

発言した。

つまりは、フリージャーナリスとは、現地においては「飯のタネ」になる、ということともとれる。

「インターネット(上)に報道(記録)が残っており、拘束組織も検索して知っていた。はっきり言えば『人質』はデマだが、日本は身代金を払うと思わせてしまっている」とした。

さらには、

フリージャーナリストとしての自らの活動には、日本政府が拘束組織と交渉しないことを前提にしていることを強調した。

「退避勧告を出した地域に入ったフリーランスのために政府が金を払うことは、絶対にあり得ない。だからこそフリーの側は自由にでき、紛争地で死ぬこともあると思って現地へ行っている」

自身の生存を日本に伝えるため、拘束組織から個人情報などを書かされた際「6446」(無視しろ)など、解読されないように書いたことも明かした。

「意思表示ができ、達成感があった。私が殺されても、政府に助けてもらうつもりはなかったことを残せた、と思った」と語った。

 会場には多くの若者がおり、こんな質問があった。

危険があってもまた、取材に行く思いはあるのか

これに対して安田さんは、

「現地で何とか生きようとする人を見たい。伝えたいから行くのではなく、見て知った以上、伝えなくてはいけない」

と応じた。

要するに、自らが現地で「見たい」ということに帰結するようだ。

まさに「フリー」ではあるのだが、マスコミも、テレビ視聴者も、政府も、今後はほっといてほしい、ということなのかは、定かではない。

出展:神戸新聞NEXT

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