スポンサーリンク

Dragon Ash(ドラゴンアッシュ)のメンバー 大麻所持の疑いで逮捕にも驚き無し 何故ミュージシャンの薬物事件は頻繁に起きるのか? すべては市場原理を見つめ直せ!

芸能
出典:Dragon Ashホームページ

出典:Dragon Ashホームページ

人気ロックバンド「Dragon Ash」のメンバーが、大麻を所持していたとして、警視庁に逮捕されたニュースが入ってきた。

何と、連動して世界的ギタリスト「Char」の息子も逮捕され、今現在警視庁が大麻の入手ルートを捜査しているとのこと。

スポンサーリンク

逮捕されたのは、Dragon Ashの「KenKen」

逮捕されたのは、「Dragon Ash」のメンバー、金子賢輔容疑者(33)。

警視庁によると、19日、京都市内の自宅で大麻を所持していたとして、大麻取締法違反の疑いが持たれている。

バンドでは「KenKen」の名前でベースを担当している。

あの憧れのギタリスト「Char」の息子までも逮捕

また、世界的ギタリスト「Char」の息子で、「JESSE」の名前で音楽活動をしている、マック・ファーデン・ジェシー・ソラト容疑者(38)も、19日、東京 品川区の自宅で、大麻数グラムを所持していたとして逮捕された。

警察の調べに対し、金子容疑者は「大麻だとなんとなくわかっていた。拾いました」と供述。

ジェシー容疑者は「大麻は私のものです」と供述している。

2人は「RIZE」というバンドで活動しており、金子容疑者は「Dragon Ash」にもメンバーとして加わっている。

「Dragon Ash」のボーカルは、俳優の古谷一行さんの息子 降谷建志さん

「Dragon Ash」は俳優の古谷一行さんの息子で、ボーカルの降谷建志さんら7人組のバンドで「Grateful Days」や「FANTASISTA」といった楽曲がヒットしました。

警視庁は大麻の入手ルートを捜査しています。

音楽アーティストの薬物逮捕は常態化するのか

今さら、と言っては何だが、今回の事件においても、ミュージシャン関連の「薬物事件」に関しては、「またか」という印象しか出てこない。要するに、時にある普通のハプニングのような印象であることは、一般人の間でもぬぐえない現実である。

近年での印象深いのは、大麻取締法違反の容疑で逮捕された元アイドルグループKAT-TUNのメンバー、田口淳之介が、6月7日に保釈された際に、黒いスーツ姿で勾留されていた警視庁湾岸署から出てきた際に、大きな声で反省と謝罪を述べたあと、カメラの前で突然土下座し、長い時間地面に額をつけて謝罪を続けた場面。

それより前には、人気ポップスグループ、CHAGEandASKAのメンバー、ASKA、本名、宮崎重明容疑者(56)が覚醒剤を隠し持っていたとして、警視庁に覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕されたことも印象深い。

印象深いが故に、「何を今さら」というような何か普通の一般常態化した光景として、メディアを通してみる我々には映ってしまうのである。

あのジョン・レノンはヨーコとつきあう以前からすでにLSD-25の常用者であったし。その後、ヨーコと一緒になっても、レノンはローリング・ストーンズなど、さまざまなミュージシャンを巻き込んで手当り次第にいろいろな麻薬を試すようになったという。

当時のミュージシャンの薬物に関しての言動は、薬物の力を借りて、「新しい世界」を見ることでそれを創作活動に生かすというアーティスティックな言い方もあり、その後のミュージシャンやアーティストに引き継がれてしまった負の財産となったのかもしれない。

アーティスティック=反社会でいいのか

本音のぶっちゃけた話で言えば、吉本の反社会組織での闇興行に関して、関与した芸人を排除するという行為であるが、それらの一環の動きに関与した人たち、芸人から、興行師、身近なファン、それぞれは、それらの動きを今初めて知ったということはあり得ない。

実は、これらは常識化、常態化していたわけで、吉本側も目をつぶっていた部分もなくはない、というよりは、明らかにあったはずである。でなければ、テレビに出られない芸人たちはただ年を取りアルバイトで生きていくのか、ということになる。

当たり前だが、芸人たちにとっての”芸”は、ミュージシャンにとっての演奏技術であり、曲という作品と同様である。

社会保障がすべてが保証されたサラリーマンであったならば、絶対的に所属する会社・団体の行動規範に反した動きはするべきではないし、そうでなければ給料をもらう資格はない。

だが、ある種契約社員以下の条件で拘束されて芸人に収入の保障があるわけでもない。よって、自分なりの営業活動をせざるを得ないは当たり前の話である。

同様に、自らの技術と作品で勝負するミュージシャンにとっても、曲を作る、演奏するというクリエイティブな作業は、彼らの活動の絶対的な基盤となろう。

ただ、その基盤における作業が、例えば音楽を作る工程を頭脳の工場とするならば、その自分自身の脳内工場において、薬物を使わなければ稼働できない、という状態ならば、それはプロフェッショナルとは言えないときっぱりというべきである。

なぜなら、そこで作られた曲という作品、練習で造られた演奏の技能は、ステージあるいはメディア、レコードという市場において第3社を介して流通されるからである。

お笑い、ロックミュージック、様々な無形の消費があるが、それはすべて市場というルールの中で流通されるものである、ということをすべてのアーティストは肝に銘じなくてはならない。

そのためには、一般人、ただのファン、ではなく市場を支えるユーザーとしての私たちは、どれほど憧れようが、惚れようが、知的生産者である、芸人、ロックミュージシャン、その他ジャンルを超えて、アーティストたちへ、厳しい視線を、愛情や憧れとともに、向けなくてはならない。

すべての人が市場に関与するこれからの市場は、厳しい愛情が必要だ、と強く感じる。

執筆:ochibo

タイトルとURLをコピーしました