スポンサーリンク

【謎の正体?】ラサール石井の「陛下パレード報道対する不快感」ツイートから、SNS炎上系著名人は何者か?を考えてしまうの巻

芸能


タレントのラサール石井(63)が23日のツイートが炎上している。当初は、俳優佐藤浩市の映画出演に関するコメントの炎上を発端とするメディアの報道の姿勢に対する批判だったが、続けてのツイートが天皇陛下の即位パレードに関するもの。





一方、前後してかつての色恋沙汰が取りざたされた華原朋美が妊娠6カ月であることが5月4日、所属事務所の発表で分かった。報道番組がワイドショー化と揶揄するラサール石井と、迷路を歩きながらも出産への希望を表明する華原朋美の毅然たる態度を対比してこれまでの敬意を振り返ってみたい。

スポンサーリンク

本当に「メディアは完全に制圧された」のか

ラサール石井のツイッターでの発言とは、
「メディアは完全に制圧された」「マスコミや報道番組はワイドショー化し、政府は大手芸能事務所化した。メディアは完全に制圧された」となっている。

これは10月22日に行われる天皇陛下の即位パレードが自民党本部前を通過することになったことに対しする発言であるのだが、どこに問題があるのか。
このラサール石井の発言はその前の以下のツイートへのリツイートでのコメントである。

TBSの自らの記事の削除がラサール石井のツイートの発端ならば、本末転倒なのでは?

そもそものラサール石井のツイートの前提にはTBSが、天皇陛下の即位パレードが変更され自民党前を通ることに関するスクープをニュースサイトから削除してしまったことが発端と考えられる。

現況、反安部政権がネット上で叫ばれているTBSが、自民党寄りのニュースを敢えて削除してしまうのは相手の優位性を殺ぐ意味でもある種必然的に考えられる。

もっとも、この記事削除に関して、自民党側からまず要請があるわけでもなく、また抗議の声明があったわけでもない。ただ、一ネットユーザーが、権力側の圧力があったと勝手に創造した上で、自ら削除したTBSを擁護したか、あるいは安部政権の弾圧と勝手に発言したかに過ぎないと考えられる。

それ以前に引用されたリテラの以下のコメントをあげておく

「安倍首相のあからさまな政治利用、私物化は、今後、さらにエスカレートしていく。このままいけば、日本はそう遠くない日に「天皇様の国」ならぬ「安倍様の国」になってしまうのではないか」

そもそも天皇陛下が自民党本部の前を通ることも安部総理一人だけの取り計らいであるはずもなく、また、天皇陛下が安部総理個人の意向を聞いて取り決めたということがあるわけもない。それをさもあるように記載しているということが、これを書いたメディア側のメディアの私物化ではないのか。

タレントが政治的な発言することがタレントの使命なのだろうか?

昨今タレントが政治的な反対背的な発言をするのが目立つようになったのは、いずれにせよツイッターを代表とするSNSの発達と流布が最大の要因であることは否めない。ネットユーザーの誰もが気軽に参加し、発言し、閲覧し、反論できるインターネットというメディアの最大の功罪である。

政治的発言は有名人、タレントの宿命か

過去を振り返れば政治的なタレントを想起すれば、代表的には、かつて青春ドラマで沸かせた現千葉県知事の森田健作氏、元東京都知事の青島幸男氏が想起される。森田健作は前者は、青春、生き方、という面でバラエティー番組で強い発言をし続け、グリコ・森永事件の時には銭湯にたって被害者側のメーカーと消費者の橋渡しをした。青島幸男は放送作家という立ち位置から、シナリオ、演出、発言にて当時自分が舞台とするテレビを思い切り風刺しながら、面白ろおかしい作品や発言をお茶の間に広めた。

もとより政治とは選挙というフィルターを通して成立するために、知名度が非常に大きな有力要素となっているため、マスメディアでの露出度の高いタレント、所謂芸能人、スポーツ選手が引退後に政治家の道に入るのは一つの手段でもあり、また各政党としても妥当な手段でもある。

笑いが世の中の風刺を踏まえた上で成り立ち人気を得たりするのも現実であり、また、それがもっとも功を奏したのが世界的に見ればチャールズ・チャップリンがそうだろう。

だが、メスメディアで台頭するにはそれなりの労苦を前提にして仮定が必要で、一般人と著名人が混在して参加できるSNSがあるがうえに、簡単に誰もが政治的な発言をできてしまう。そこにタレントの知名度が加わり、本来あるべきであろう自己の職業としての立ち位置(タレント、俳優、スポーツ選手)を越えた発言が入り混じってしまうのもやむを得ないことではある。

しかし、タレントはタレント。今時はユーチューバーという職業も成立していることから、プロとは?というプロ論も論議されたりもするものの、様々なメディア、ステージを通して自己表出することにおいて、見るものにどのような期待と成果をもたらすのか、つまりはエンタテイメント性がタレントの役割なのではないか、という疑念が浮かぶのも否めない。笑いも風刺も、底辺は人間であることはたしかではあるが。

炎上の前提にある佐藤浩市「空母いぶき」にまつわる発言

この炎上に先立って、俳優 佐藤浩市が自ら出演した映画「空母いぶき」の自己の配役に関して「本来は出たくなかった」という発言があり、さらに現総理大臣の持病を揶揄したように見られたか誤解さされる役の演出が、全国の同病理患者への被害を想起させるいことなり、ツイッター上においては、著名人、作家が舌戦を繰り広げる展開となった。

結論として成果になったのは、公開される映画の知名度の拡大である。考え方によって、これが予め仕組まれたストーリー展開であれば、現総理大臣、映画、著名人、それぞれの意見がファン層をつかみ、混沌へ導かれ、映画の興行成績の上昇へとつながる可能性もなきにしもあらずである。さらには、この記事を取り上げた昨今低迷気味の出版市場における雑誌の売り上げにも貢献するであろう。

結局、佐藤浩市もラサール石井という著名人は、いったい何者なの?

ある年代以上の方は、かつて参議院議員をも務めた歴史に残る落語家 立川談志を想起すると面白い。

立川談志は、政治、権力、タレント、著名人、海外文化、全部をいじりにいじり、自らも携わり、旅をし、その根底に絶え間なく落語の底辺にある芸の力「人間の業」を彫りに彫って、自らの古典落語を自己開発しつづけある種アート的立ち位置まで昇華させ、そして新しい庶民化を図っていった。政治、経済、哲学、メディア露出も、すべての帰結が落語という芸に落ちていったのである。

おっと、

話が談志に逸れちまったんで、立川談志師匠の政治も交えたまくらを聞いてみようじゃないか

まあ、お時間あるかたは、ちょっと聞いてみてください。聞けないかたは、飛ばしてもらっても結構です。下にまとめてあります。

政治の話とはちょっと違いますが、例えば薬にもなれば毒にもなるという点で「酒」を例えてみます。

談志にいわせれば、

酒が人間を駄目にするのではなく、「人間がいかに駄目なのか」ということを、酒が証明するんですよ。

つまり、酒のように世にはびこるSNSツイッターとやらは、かつての酒のように、メディアとしては利便性を持ちながらも毒をもつ。どうっように、それを利用する人間を駄目にするのではなく、如何に人間が駄目であるのかを証明するのがメディア、というわけである。

薬か、毒か、は使いよう、というわけですね。
(バカと天才は紙一重、なんてね)

帰結とすると、

ともあれ、今一度、ラサール石井のみならず、マスメディアに出てくるタレントの皆さんに、あなたの職業は何ですか?と問うてみたいものだ!

ちなみに、とんねるずの石橋貴明の職業は「とんねるず」なのだそうです。

話はまた、この次に。

タイトルとURLをコピーしました