
出典:https://www.newsweekjapan.jp
参院選の比例代表(改選数50)で、政治団体「れいわ新選組」代表の現職、山本太郎氏(44)の落選が確実となった。
山本氏は、2013年参院選で東京選挙区から出馬し、初当選し、現在は国民民主党で総合選対本部長相談役を務める小沢一郎氏とともに、旧「生活の党と山本太郎となかまたち」の共同代表などを務めるなどした。
今回7月21日の参院選に向け、今年4月にれいわ新撰組を設立し、比例特定枠に重度障害者2人を起用した。自身も東京選挙区からではなく比例代表から出馬したが、特定枠に入らず、比例票の掘り起こしに努めたが落選確実となった。
落選となったものの、選挙運動期間中には、奇抜な街宣活動と役者出身の表現力を生かした独特の演説の説得力で、急速に支持者層を集め、話題を放った山本太郎氏。
今回はその山本太郎氏の政治活動にまつわるまでのエポックメイキングなエピソードを上げ、山本氏の吸引力と今後の可能性を検証してみたい。
目次
山本太郎の演説は「れいわ新撰組」に4億円超の寄付金を集めた
れいわ新撰組における山本太郎氏のが提案する政策は明確だ。というのも、項目のほとんどが「お金」い関するものだからだ。
端的に上げれば「消費税を廃止」「奨学金0円」「全国一律、最低賃金を時給1500円」「中小零細企業の不足分は政府が負担」「デフレ脱却まで1人あたり3万円の一律配布」。つまり国民、特に低所得者層に対しての基本的な金のバラマキにであり、歳入に関しては一切触れていない。
それに対して、積極的に「寄付金」への協力を、夢の政策実現のために正々堂々お願いするというスタイルである。ある種クラウドファウンディング型のプロモーションが街宣活動であり、そこにキーマンとしての脳科学者の茂木健一郎氏、左翼系落語家立川談四楼がネットを介してサポートするというスタイルである。
選挙活動と同時に表立って寄付金を集める、という活動は、本来水面下でなされる選挙資金集めの活動とは全く裏腹で、ある種斬新さを感じる。また、草の根活動的な光景の中、今まで政治に関心のなかった庶民への即効的な関心度・参加意識を高めるための寄付金集めは、インターネットを交えた大衆運動的イベントとしての選挙に即効性があったといえるだろう。
山本太郎は、極左翼活動家と仲が良かった
2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では、山本太郎氏は東京都選挙区から無所属で出馬、666,684票を獲得し4位で初当選した。その際は、生活の党、社会民主党、緑の党、新社会党の各党の支援を受けた。
この頃、山本太郎氏は、全学連委員長であり革共同中核派の学生組織のトップ織田陽介氏とのツーショット写真がメディアで流布している。
これは中核派が一方的に山本を支援しているという関係ではなく、山本は中核派の反原発組織の呼びかけ人である。その事務局長が、中核派全学連の前委員長 織田陽介であり、山本は彼と仲よく写真を撮っていた。

中核派全学連の前委員長、織田陽介(左)と山本氏 出展:http://agora-web.jp/archives/1548447.html
中核派は「山本氏の政策支持し闘おう」という記事で、彼への投票を呼びかけていた。山本はこうした中核派の支援に対して「拒否しない」とのべていた。
山本太郎は、天皇陛下に直筆の手紙を渡した
2013年10月31日、秋の園遊会に出席した参院議員の山本太郎氏(38才)がは、天皇陛下に直接、手紙を手渡した
国会議員が自ら天皇陛下に手紙を渡すのは極めて異例で議論を読んだ。
後に山本氏は「原発事故での子どもたちの被曝(ひばく)や事故収束作業員の劣悪な労働環境の現状を知ってほしかった」とその手紙の趣旨をメディア関係者に話した。
宮内庁次長・山本信一郎は同年11月5日の定例記者会見で「園遊会の招待者には、陛下のお近くで写真撮影をしないなどの注意事項を示していた。園遊会は各界で活躍された方を招いて、ご苦労をねぎらう場所。常識的に判断されるべき問題。(山本太郎が天皇に渡した手紙は)こういう状況で渡されたものなので、事務方で預かり、陛下には上げていない」と述べ、この手紙を天皇に届けておらず、今後も届けることはないことを明かした。またもしも手紙を返却して欲しいという希望があれば、返却すると述べた。

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62617430.html
その後、同年11月8日、参議院議長の山崎正昭から厳重注意と皇室行事への参加を任期中の間は認めない処分が言い渡された。
山本太郎は、Tシャツ普段着姿で伊豆大島のボランティア活動で物議を醸した
天皇陛下に直筆の手紙を手渡騒動の後も、山本太郎氏は92日での離婚、隠し子、国会の弁当が「ベクレてる」(放射能汚染されている)発言など、物議を醸す言動を繰り返してきた。
その後同年2013年10月末に台風26号の被災地となった東京・伊豆大島のボランティア活動でも物議をかもした。
自衛隊が必死に救助を行っているなか、山本議員はヘルメットもかぶらず、パーカを脱いでTシャツ姿で歩き回った。これには現地で「お散歩にしか見えない」「コンビニに行くような格好で来ること自体が全く真剣味に欠けてる」などと非難された。
またボランティア関係者によると、「ボランティアたちが無料で寝る場所を確保しろ」と山本氏が社会福祉協議会に怒鳴り込んだという話も現場を中心に広まった。
当時、山本氏は自らのブログに「モンスターボランティア議員」と題して、そのような言い方や振る舞いはしていないと否定したものの、「町がスペースを確保してくれれば、寝袋持参などで来やすくなる。宿泊費が必要というハードルが下がれば助かる、とご意見を受け、町長にお会いさせて戴いた」と記した。
山本太郎のはじまりは、ダンス甲子園出場が原点だった
現在は政治家として活動しるの山本太郎だが、元はタレントであり、俳優であった。
その出だしのきっかけが彼がビートたけしの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」内の人気コーナー「ダンス甲子園」にへの出演であった。
この番組出演による人気がタレント山本太郎の芸能界のスタートのきっかけなのである。
1990年代、数々のダンススターを生んだ人気コーナー「ダンス甲子園」にデビューした当時のユニット名は3人組(太郎以外の二人は半裸×ネクタイ)の「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」で、中でも山本太郎の強烈なキャラとコミカルな振付が人気を博した。
山本自身は遊び感覚で出演していたが、一方、「あんな裸踊りをさせるような学校には通わせられない!」と保護者から学校に苦情が寄せられたことで、親や学校との関係が悪くなりながらも出演するなど苦労も多く、いじめ被害者になった事もあったという。
まとめ 山本太郎を読み解くキーワード「目立つ」=大衆+左翼+普段着+不敬+コミカルダンス
この度の参議院選において、山本太郎は比例代表で落選したものの、れいわ新撰組としては新人2名を当選させた。れいわ新選組の山本太郎代表の個人名得票が45万票を超え、現行制度で落選者の最高得票となるという記録を残した。
さらには、
今回れいわ新選組は政党要件である得票数の2%を確保する見込みである。つまり山本氏は維新の松井一郎代表のように非議員の党首でも党首討論には参加できる。
山本氏は当選する必要はなく、政党要件を満たす120万票でよかったのだ。そして議員でなくても、他の野党党首だけでなく自民党の有力政治家よりよっぽど目立つ存在になる。
出典:FNN
という評価も出てきている。
つまり、露出度=目立つ、というレベルにおいては、確実に功を奏した格好になっているはずである。
山本太郎の運動の要素「大衆+左翼+普段着+不敬+コミカルダンス」、これらは底辺な視点からのゲリラ的行動からはじまる大衆運動である。
完全にネット社会が浸透し、さらに若年層が今後成熟化していゆくとともに、弱者の力はネットの力を通じて、浸透してゆくだろう。

出典:https://www.sankei.com
「バラマキ型」という政治目標は否めないものの、弱者=大衆を短期で引き付けられる山本太郎の行動力とその手法は、未来のネットを前提とした政治運動においては無視するどころか、見習う部分もあることは既存の政治家、活動家には否めない部分が多大にあるといえる。
山本 太郎(やまもと たろう、1974年11月24日[1] – )は、日本の政治家、元タレント、元俳優。院内会派「国民民主党・新緑風会」所属の参議院議員(1期)、政治団体「れいわ新選組」代表。自由党共同代表兼政策審議会長を務めた。兵庫県宝塚市出身[1]。現在は大阪府在住。