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【訃報】熊殺しの異名をとるウィリー・ウィリアムス 死す 世界最強を証明するためアントニオ猪木とも戦った

スポーツ


熊殺しの異名を持もち、アントニオ猪木とも異種格闘技戦で戦った空手家ウィリー・ウィリアムスが2019年(令和元年)6月7日心臓病で亡くなった。67歳だった。



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空手に惚れ、空手を愛し続ける

ウィリアムス氏はアメリカ・ノースカロライナ州コネティカット出身。極真会館コネチカット支部に入門して空手をはじめ、支部長の大山茂の指導を受けた。大山倍達氏が設立した極真会館に憧れ、空手をやるならば日本でやりたいという願望が強かった。

1975年(昭和50年)11月に第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場。3回戦でハワード・コリンに体重判定で敗退。身長196センチ、体重100キロの恵まれた体格ではあったが当時はまだ目立った存在にはなっていなかった。

その後1979年に出場した第2回世界空手選手権で3位に入賞うした。

劇画の中でも一つの大きなエポックとしてウィーリー・ウィリアムという実在するキャラクターはリアルの戦いともに躍動した

当時は梶原一騎原作の「巨人の星」「明日のジョー」を代表とする劇画が大ブームで、極真会館の動向も『空手バカ一代』(少年マガジン)に連載され、演出を加えながらもリアルと劇画が同時進行に発信されていった。

梶原一騎プロデュースによる空手ドキュメンタリー映画極真空手を題材に製作した映画『地上最強のカラテ』シリーズの2作目で、空手こそ世界最強の空手を証明せんと、ウィリアム氏は映画の中において。巨大な熊と戦った。それを機に“熊殺し”の異名をとる。

空手というジャンルを超えて戦いをあらゆる場所で

1980年2月に東京・蔵前国技館でプロレスラーのアントニオ猪木と異種格闘技戦で対戦し、両者リングから落ち、ドクターストップによるノーコンテストの結末となった。
その後、リングスにも参戦し前田日明と対戦するが敗退。他、FMWにも参戦。空手では90年代初めから上昇する正道会館の大会に参戦する。

ウィリー・ウィリアムス(Willie Williams、1951年7月14日 – 2019年6月7日)は、アメリカ・ノースカロライナ州出身の空手家。身長196cm、体重100kg(現役時)。極真会館出身で、熊殺しの異名を持つ。
ウィリー・ウィリアムス (格闘家) – Wikipedia
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