ふとした日に、一人で食卓に向かう時、昭和の時代を思い出す。
窓辺に灯る黄色い明かりが、まるで時が止まったかのように静かに部屋を照らす。
古いレコードがかすかに聞こえ、その中に昭和の香りが漂う。
一人で食事をする時間は、まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのよう。
それは孤独とは程遠く、むしろ懐かしさに包まれる至福のひととき。
一人飯は、決して寂しいと感じるものではない。
それは、昭和の風情が心の中で蘇る、特別なひとときなのだ。
食べる、その素晴らしさを酔いしれる夜
青森県十和田市の太素塚裏にある実家は、新渡戸稲造の三代が眠る場所として、静かな風景に包まれていた。
その実家で、土建屋として働く父親が、時に酔っぱらって帰ってくる夜があった。
その夜、父親がせがむ。
母さんに、握り飯に味噌を付けて焼いてくれと。
青森県十和田市語では、こういう。
「母さん、握り飯さ味噌つけで焼いでけで」
母さんは微笑みながら、ちょっと怒りの表情を隠しながら、その父親のせがみを受け入れ、夜の風景が染みついた食卓を用意する。
そして、父親が頬張る。
食べる、その行為が持つ素晴らしさを感じる瞬間。
一口食べるたび、昔ながらの家族の愛情が溢れ出し、食事の喜びが感じられる。
握り飯が焦げたほろ苦さが、父の働いて帰った喜びとなり、味噌の香りが、母の愛情を思い起こさせる。
それぞれの味が、家族の絆を呼び覚ます。
それはまさに、食べるという行為がもたらす、大切な家族のひととき、だった。
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